おかしい。明らかにおかしい。



綱手に呼び出されてからのカカシは、下忍なりたての新米忍者でさえ一目瞭然なほど様子がおかしい。

如何なる時も決して本心は見せず、飄々と、そして非情なほどに冷静でいるはずのカカシが、

げっそりとやつれて、明らかに何かを思い悩んでいる。



(そりゃ、奴も人間だ。 悩みの一つもあって当然だが、オノレの悩んでる様なんて決して人に見せねぇのがカカシだろうに・・・)



アスマが奇異なものでも見るようにカカシを凝視しているが、それほどのあからさまな視線にもカカシは全く反応せず、

どんよりと暗い表情で頭を抱え込んでみたり、今にも死にそうな顔で息も絶え絶えに机に突っ伏してみたり、

はたまた凶悪な眼つきで宙を睨みつけたかと思えば、挙句の果てには、泣き出しそうなほどにしょげ返ったりもしている。



綱手に呼ばれた後、二人の間に一体何があったのか。

ほんの数時間でここまでの変わりようを見せるとは、どれだけ甚大なトラブルに見舞われたのか。



あの場に居合わせた全員は、その後の成り行きが気になって気になってしようがないのだが、

カカシのあまりの豹変振りに、下手に理由を聞き出して藪から蛇を突っつき出しては大変と、

遠巻きにコソコソと耳打ちし合いながら、変わり果てた姿を眺めるだけだった。



「ねえ・・・、一体どうしちゃったのよ。 カカシの奴」

紅も、アスマに向かってこっそりと耳打ちしてきた。


「・・・さあな。 特段、任務でヘマやらかしたっては聞いてねぇがなぁ・・・。 まあ、何か面倒事でも起きちまったんだろうよ・・・」


「ねえアスマ、何とかしてよ。 この妙な空気・・・。 あんなの見せられちゃ気持ち悪過ぎるわよ」


「何で俺なんだよ! 面倒くせー厄介事なんざ真っ平御免だ。 紅、お前がやれよ」


「嫌よ、私だって!」



誰が猫の首に鈴を付けるかのような、不毛な議論があちこちで行われている。

さすがのカカシも、頭にきた。



「・・・・・・あのさー。 お前等さっきからゴチャゴチャうるさいんだけど・・・、静かにしてくれる?」

この世の不幸を一身に纏ったかのような、陰々滅々とした声でボソッと呟く。


「あっ! ああ、スマン・・・いや、何だ・・・カカシ、お前、何かあったのか? 元気がねえみたいだが・・・」


「・・・・・・俺? 別にー。 いつもと同じでしょーよ・・・。 何よ? 気ィ遣って気持ち悪い」

唯一晒された右目でギロリと睨みつける。死神も思わずたじろぐような険悪な視線を浴びせられ、アスマは微かに身じろいだ。


(き、気持ち悪くて悪かったな! いつもと同じだったら、こんなに気ィ遣わねーよ! つうか、八つ当たりで殺気飛ばすんじゃねー!)


「・・・ねえ、カカシ? 悩み事でもあるんなら相談にのるわよ?」


「・・・・・・じゃあさ。 頼むから俺のこと放っといてくれる? 下世話なお節介は止めてよね。 どうせお前等には関係ないんだし」

さもくだらないとばかりに吐き捨てた。


(か、関係ないって・・・。 何よコイツ! 人がせっかく心配してやってるのに!! )


ワナワナと怒りを露わにするくの一と、触らぬ神に祟りなしとばかりに知らんぷりを決め込むその他大勢。

周囲の思惑などカカシは全く意に介さず、ただひたすらにサクラとの事だけを考えていた。



 ―――― どっちにしたって・・・、やっぱり、ちゃんと謝るべきだよね・・・



「よしっ!」 と、気合を込めた掛け声とともに、カカシは勢い良く立ち上がった。

思わず全員に妙な緊張が走り渡る。



「な、何だ・・・? どうした? カカシ・・・」


「・・・・・・ちょっと、出掛けてくる」



カカシは、軽く目を閉じ小さく息を吐きながら、何やら覚悟を決めている。

そしてそのまま、どこか悲壮な決意を秘めた眼差しで、待機所を後にした。



(あーあ。 何だか知らねぇけど・・・、頼むから、これ以上ここの雰囲気悪くしねぇでくれよな・・・)






――― ・ ――― ・ ――― ・ ――― ・――― ・ ――― ・―――







(そろそろ出てくる頃かな・・・? )



カカシは、アカデミー出入り口近くの木陰で、サクラの帰りを待つ事にした。

木にもたれ掛かりながら、軽く眼を閉じ彼女の気配を探る。

しばらくすると、見慣れた薄紅色の髪が行き交う人々の間から垣間見えた。



確かに顔色が悪く、表情も冴えない。

何か悩みを抱えているのは誰の目にも明らかで、カカシの胸が、チクリ、と痛んだ。



スゥーッと大きく深呼吸をして、いつもと同じ表情を作る。

――― よし。



「よっ! サクラ」


「カ、カカシ先生・・・」



思わぬ人の待ち伏せに明らかに動揺しながらも、無理に笑顔を浮かべるサクラ。

その張り付いた笑顔に、カカシは、もしかしたらという僅かな望みも見事に打ち砕かれてしまった。



「・・・・・・ちょっと話があるんだけど、いい?」


――― なんとか笑顔で話せたみたいだ。だいぶ歪んだ笑顔だったけど。







カサッ、カサッ、カサッ・・・


先程、綱手と訪れた所に、今度はサクラを連れてきた。



サクラはずっと自分の足下ばかりを見ていて、カカシと目を合わせようとしない。

そのまま黙って、不安そうにカカシの言葉を待っている。



「あー・・・、昨日の事だけどさ」


「・・・・・・うん」


「・・・・・・ゴメンな。 ――― 忘れてくれる?」


「 !!! 」


「ホント、サクラの気持ち考えないであんな事しちゃって、俺が悪かった。

 もう二度としないからさ、だから無かった事にして。 本当にゴメン!」



両手を合わせ頭を下げて頼み込んだ。

格好悪くても何でも、とにかく必死に謝るしかない。

忘れることなんて本当はとてもできないけれど、それでサクラがスッキリするなら仕方ない、と、

カカシはひたすら頭を下げ続けた。



「・・・・・・」



サクラは静かな目で、自分の足元の小石を眺めている。

そして、どこか諦観した表情で、自嘲気味に呟いた。



「・・・やっぱり・・・・・・、私じゃ、駄目なんだね・・・」


「・・・・・・え?」


「・・・こんな子供じゃ・・・、資格ないんだよね・・・カカシ先生・・・」


「・・・・・・何、言ってるんだ・・・?」



見ると、サクラは静かに微笑みながら、ぽろぽろと涙を流している。

カカシの今の言動にひどく傷つけられたことは明らかで、その痛々しい笑顔に、カカシの胸がギリギリと痛んだ。



(そんな顔させたくないから、全部忘れようって言ってんのに・・・)



拳を握り締め、思わず抱き締めそうになるのを必死で堪える。

そんなカカシの様子を見て、サクラは努めて明るく振舞った。



「判った。 先生がそう言うなら・・・、昨日の事はなかったことにしてあげる。」


「・・・・・・」


「フフッ、先生ったら・・・、変な顔・・・。 なんか今にも・・・、泣き出しそうな・・・」

サクラの笑顔が、嗚咽で大きく歪んだ。


「・・・本当はね、すごく嬉しかったんだ。 昨日の事・・・。 ちょっとだけだけど・・・、夢が見られて・・・、

 でももう・・・、そんな勘違い、しない、から・・・大丈、夫・・・。 安心、して・・・」



「じゃあね」 

口元を押さえ、必死に嗚咽を堪えながらその場を走り去ろうとするサクラを、カカシは無我夢中で引き留めた。

「待て! ――― サクラ・・・!」


「ヤダ! 離してっ!」

サクラはその手を逃れようと必死にもがき続けるが、もがけばもがくほど、かえってカカシの腕が拘束してくる。

今、この手を緩めたら、取り返しのつかないことになる――― それだけはカカシにも本能的に解った。


「・・・・・・どうして、離してくれないのよぉ・・・」

逃げ出すことを諦めると、サクラは両手で顔を覆いながら、悔しそうに泣きじゃくっている。



(あれ? あれ? 何でこんな事になっちゃったんだ?)



カカシは、酷く混乱してしまった。

サクラのために良かれと思ってした事が、どうやら大きく裏目に出てしまったようで、

逆に彼女を酷く傷付けてしまった事だけは、辛うじて理解できた。



(一体どうなってるんだよ・・・。 昨日の事・・・、眠れなくなるほど、迷惑だったんだよね?)



何やら誤解があることだけは確かなようだ。

今この場できちんとその誤解を解いておかなければ、この先、とんでもない方向に向かいかねない。



「悪い・・・、サクラ。 俺、なんか勘違いしてるのかも・・・。 えーと、ちょっと訊いてもいい・・・?

 サクラは・・・昨日の事・・・・・・、ひょっとして、迷惑だったんじゃないの?」


両手で顔を覆ったまま、小さく首を横に振り続けるサクラ。


「嫌じゃ・・・なかったの?」


「・・・・・・嬉し、かった、って、言ってるじゃ、ない・・・・」

か細い声が指の隙間から漏れてきた。


「先生の、特別に・・・、なれたような、気が、して・・・嬉、し、かった・・・」

でも、先生は ―― 、と再び激しい嗚咽が漏れる。


「ゴ、ゴメン! そんなつもりじゃなかったんだ! てっきりサクラは嫌がってたんだと思って、それで・・・」

慌てて、震える細い肩をしっかりと抱え直した。


 ―――― 何だか俺の早とちりだったらしい。


カカシはホッと安堵の胸を撫で下ろした―― が、やはり、どうしても気になる。





「・・・それじゃあさ、サクラは眠れないほど何を悩んでた訳?」





俺との事だったんでしょ? というカカシからの問いに、サクラは顔から火が噴き出るほど真っ赤になって、思わず顔を背けた。


「・・・・・・言えない」


「言えないって・・・」


「先生、聞いたら絶対呆れちゃうから ―― 、絶対絶対、言えない!」


ブンブンと音がしそうなほど首を振るサクラに、カカシはますます疑念を抱く。


 (そんなに嫌がったら・・・、余計気になるぞ)


「絶対呆れない。 呆れないから、ちゃんと話してごらん。 心で思っているだけじゃ、相手には何も伝わらないぞ。

 ちゃんと言葉にして伝えないと、本当に大切な事を相手に理解してもらえないまま、終ってしまうかもしれない。

 ・・・・・・俺はね、サクラの事ちゃんと理解したいんだ。 だからさ、本当の事、話してみてよ」


「絶対に、笑わない・・・?」


「笑わない。 約束する」



それでもまだあれこれと躊躇しているサクラに、カカシは軽く「ホラ!」と促す。

辛抱強く待ち続けるカカシの様子に根負けして、渋々ながらサクラは語りだした。



「・・・・・・あのね。 昨日のこと、本当に嬉しかったの。 私を一人前の女として、見てくれたのかなって。

 先生の“特別な人”になれそうな気がして、嬉しくて嬉しくて仕方なかった」


「うん」


「でも、先生の周りにはいつも綺麗な女の人がいっぱいいて、私なんかとても太刀打ちできなくて・・・。

 そうしたら、先生にとっては昨日のことも、ほんの子供騙しのような事なのかなって思えてきたの。

 大した意味なんて無くって・・・、ただちょっと、からかわれただけなのかもしれないって・・・。

 ・・・何だか、一人で喜んでいたのが馬鹿みたいで。 考えれば考えるほど、自信がなくなって、それで・・・」


(何だ、そういう事だったのか・・・) 


聞いてみれば実に簡単な事だった。

杞憂を抱いていたサクラに、そして、それ以上の全く見当違いな杞憂を抱いていた自分に、思わず失笑してしまった。



「あのね、それはサクラの考え過ぎ。 子供騙しだなんて、俺、そんな事ちっとも思ってなかったけどねー。

 どうしてそういう風に思い込んだのかな? このお嬢さんは」

 
「だって・・・・・・」

ますます、決まり悪そうにカカシを見上げる。


「ん?」


「先生・・・、『好き』って言ってくれなかったから・・・」

蚊の鳴くような声で、恨めしそうにカカシを睨みつけた。



「・・・・・ハ?」


「ほら! やっぱり呆れてる! どうせ私はまだまだ子供よ。 自分でも子供っぽいって判ってるわ。

 でも・・・、ちゃんと言葉にして伝えてもらわないと、不安で不安で、大切な事なんてちっとも理解できないの!」



拳で涙を拭き、顔を真っ赤にしながら、サクラが胸の内を明かしてくれた。



可愛らしい ―――― 

恋の駆け引きなんて全く考えてないんだろう、サクラらしい真っ直ぐな想いと、その告白。



ああ、だからサクラにこんなに魅かれたのか、とカカシは納得がいった。



真っ直ぐな瞳、真っ直ぐな笑顔、真っ直ぐな・・・愛情。

その全部を独り占めできたら、どんなに素晴らしいか ――――



「うん・・・、そうだよね。 女の子には特に大事な事だよね。 気が付かなくて悪かった。
 
 ・・・いい? サクラ、良く聞いて」



額当てを外し、マスクも取り払う。

ハッと目を瞠るサクラ。少しだけ寄せられた眉が、緊張で震えていた。


(・・・大丈夫。 安心してて)


そっと掌で頬を挟む。

そのまま顔を覗き込み、視線を合わせた。






「俺は、サクラの事が本当に大好きで ―――― 

チュッ・・・、と額に唇を落とした。



「堪らなく愛しくて ―――― 

チュッ・・・、今度は鼻の頭に。



「誰よりも大切で ―――― 

チュッ・・・、次は両方の瞼の上。



「誰にも渡したくない ―――― 

チュッ・・・、そして両頬に。



「だから・・・、俺と、付き合ってくれませんか?」

瞳を覗き込み、ニッコリと笑った。




 ―――― サクラの欲しがった言葉は全部伝えたよ。 さあ、今度はサクラの番。





「・・・・・・本当に? 本当に私で、いいの・・・?」

頬を真っ赤に染めて、大きく目を見開いて、信じられないといった顔つきで。



 ―――― 本当だよ。 でもその答じゃ、まだまだ合格点はあげられない。

         さあ、早く。 サクラの言葉で、俺を安心させて?



柔らかな笑みを浮かべながら、サクラの言葉を待ち続ける。

カカシの笑顔に、サクラの表情も大輪の花のような笑顔に変わっていった。



―――― そう、その表情が好きなんだよ。



「私も・・・、私もカカシ先生の事が、大好きです」

カカシの胸にそっと顔を埋めながら、サクラが小さく呟く。


「・・・こちらこそ、よろしくお願いします」


「んーv よく出来ました。 ごーかっく!」 



愛しい人をしっかりと腕の中に包み込む。二度と手放す事なんてないように。

今度こそ、二人の想いは互いにちゃんと通じ合えたはずだから、

今日の余計な回り道も、雨降って地固まるというか、終り良ければ全て良しと考えよう。



 ―――― 大正解の答のご褒美は、もちろんその可愛らしい唇へ・・・。



昨日のよりもちょっとだけ親しみを込めて、啄む様に何度も何度も、その感触を味わう。



「・・・これでもまだ不安?」



軽くからかいを含んだカカシの優しい声が、サクラの耳元を擽った。

恥ずかしそうにカカシのベストの端をギュッと掴む。

見上げるエメラルド色が一際大きく瞬いて、幸せそうに輝いた。





                                                             (了)